週末、ダンナの実家に帰省していました。
私の実家にもダンナの実家にも、私の作品があります。
私は作品を作ることで満足してしまって、つい記録を忘れます。
友達宅や実家でひさしぶりに遭遇すると
懐かしく思ったり、恥ずかしく思ったり(笑)
これはダンナと知り合った頃のもの。
まだ犬の作品も作ってました。
私は犬も大好きです。
これはとなりの家に住んでいたレオちゃん。
草抜きをしている私のそばで、こんなふうに柵にあごのせしてくつろいでいました。
レオ太と呼べば、目だけをきょろっとこちらに向ける仕草が可愛かったです。
ずいぶん長生きでしたが、この冬亡くなりました。
草抜きをしていると、ついいつも彼があごのせしていたあたりを見てしまいます。
夜中に時々聞こえていた可愛い寝言も、もう聞けません。
そしてダンナの実家のとなりに住んでいたロボちゃん。
この子は捨て犬の施設から引き取られてきたそうです。
施設に引き取られる前にずいぶん苦労したそうで
たくさんなきすぎて声が枯れてしまっていました。
フォン、フォンとしか吠えられません。
牧羊犬なのでたくさんの運動を必要としますが
ご主人のお仕事が忙しくなり、散歩になかなか出られなくなりました。
ダンナの父はとても犬が好きなので
お隣に申し出て、隣のご主人が散歩に出られないときは
雨の日も風の日も、朝晩散歩に連れ出していました。
となりの犬ではありますが、父が優しいのがわかるのかとてもなつき
つながれた紐をいっぱいにひっぱって、うちの家の庭におしりをつけて寝ていました。
朝の5時からフォン、フォンと父を呼び
父の横にぴったりついて、散歩のお供をしました。
数年前、ロボは体調を崩し、起き上がれなくなりました。
排泄が困難になったロボのためにおむつを買ってお見舞いに行った父を待って
静かに息を引き取ったそうです。
ああ、涙が出てきました。
失ったとき心がいつまでも痛むことを知りながら、なぜ動物を飼ってしまうのか。
動物と暮らすことは、毎日の生活を生き生きと輝かしく彩ります。
限りある命だからこそ、一緒に過ごす時間は濃密でかけがえのないものになるのです。
祖母の家で飼っていたスピッツのチロ、
うちで飼っていたセキセイインコのクロ、キー、だいちゃん、なっちゃん、
(あまりにもいっぱいいすぎるので割愛)
柴犬のドン・・・
出会った動物たちの姿は、いつまでも心から消えることはありません。